カーテンの開かれる音と、瞼の向こうで注がれる光。右手で頭上にある筈の携帯を探りながら、まだ気怠い意識を引摺って目を開けた。

「おはよ」

動き出したわたしに気付いた、窓際に立つそれが言う。もしもこの部屋に朝の光を注いだのがこの声じゃなくて夢に見たその人だったなら、わたしはどんな顔で返事ができただろう。身体を起こしてその顔を見返す。
それはやはり夢に見た人ではなく、飲み過ぎてふらふらになった上に結局終電を逃したわたしを介抱して家に泊めてくれた良き友人。

「…はよ」

思っていたより不機嫌な声になってしまって後悔した。この男は何も悪くないのだ。
寧ろ感謝しなければならない存在だ。しかし謝罪をするのも変なので、代わりに携帯で確認した時間がさほど遅くなかったことに安堵して、二日酔いからくる頭痛と倦怠感に顔をしかめる。
彼はわたしの態度を意に介した様子もなく小さく笑った。
「朝食べる?」
少しだけ悩んでから首を縦に振る。そして彼が言うであろう台詞に先手を打った。
「手伝う」
やかんに水を注ぐ彼の隣りに立つ。珈琲を淹れるのだろうと理解して足元の棚から珈琲ミルを取り出した。インスタントもあるのだけど、わたしが家に来る時はいつも豆から淹れてくれる。
というよりわたしが此所に来る度に豆から淹れてとせがむので、いつしか習慣化してしまっただけの話なのだけど。
喫茶店でバイトをしている彼の淹れる珈琲はとても美味しいのだ。
「座ってていいよ?」
「そう言うと思ったから先手を打ったのに」
悪戯に見上げると彼は困った顔をしていた。
飲みに付き合わせ図々しく泊まり込んだ上に朝食まで作らせるというのは、流石にわたしの良心が痛む。とは言っても彼の方が料理が上手いのでほんのお手伝い程度しかできないのだが。
今日の朝食はフレンチトーストらしい。卵や牛乳や砂糖やらが混ぜられてパンに染み込んでいく。

「お前さぁ、」

トーストを焼く間に彼は豆を挽く。ふわりと、濃い珈琲の香りがした。
カラカラと豆を挽く音とトーストの焼ける音、
「うん?」
落ち着くのはどうしてだろう。

しばらく返答がないので彼を見上げると、トーストを指して「いいよ」と言うので、わたしはトーストを返してまた彼を見上げた。すると彼は少しだけわたしを見つめ返してからすぐに良い感じに焼き上がっていくトーストに視線を逸した。
そしてもう一度「お前さぁ、」と繰り返す。「うん」と珍しく朝から真面目な話だろうかと思案しながら、わたしももう一度返答した。



「馬鹿だよなぁ」



「…………は?」
感慨深げに頷く彼について行けず固まるわたしを放置して、彼は焦げる焦げる、と焦りながらトーストをフライパンから取り上げる。

「なに、それは」

我に返り抗議の声を上げたのだが、彼は既にテーブルに皿を運んでいた。視線だけで彼を追いかけて見たけれど、この話はもう終わりだというようにそれ以上は何も言わないでドリップされた珈琲をマグカップに注ぐ。

「出来たよ」

そう促されてやっとわたしはのろのろとテーブルに移動して腰を下ろす。無意識に頭で反芻する先刻の言葉で多少ぼんやりとしながら、やはり無意識に彼に倣って箸を握った。
そこでじわり、と何かが染み込んで来るのが分かった。少しずつ身体に蓄積されていくような、重い何か。
多分、彼の言いたかったことが分かってきてしまったのだろう。それでもわたしは気付かない振りを続けなければいけないような気がしたのだ。

わたしは今日も彼とは似ても似つかない、けれど彼に映る残像を見上げて思う。
もしも、目の前のきみが夢に見たあの人だったなら、


「頂きます」


わたしはどんな顔で、その言葉に返せただろう。



「いただきます」







歪んだ世界、それは夢だけどきっと真理。














(20080612)