ブランコ


深夜0時、カラカラと引けるキャリーケース片手に、少女は途方も無く歩く。
すると入り込んだ住宅地に小さな公園を見つけた。
ブランコと滑り台しかない公園だったが、今日の寝床はそこに決める事にする。

少女、神楽は家出中だった。

家出中、と言っても帰るつもりはないので家を出たと言うのが正しいのだろう。
家を出てもう半年、あんな家にはもう帰らない。
逃げてる?
じゃあ戦う事が正しいといえるの?
誰も、幸せになんかなれないのに?
所々錆び付いたブランコに座って繰り返すそれは、逃げる事の言い訳なのかも知れない。

「どうしたの?」

そんなことを考えていると、突然誰もいないと認識していた場所から声をかけられる。
神楽は驚いて目線をあげた。そこには、黒髪に青縁眼鏡で神楽を見下ろす長身の男。
驚いた瞳はすぐに半眼になり、神楽はここ数ヶ月で身につけたドスの聞いた声で男を睨み付けた。

「…ナンパ?」
「ど―だろうねぇ」

彼はそれに引いた様子もなく、意味あり気に微笑むと神楽の隣のブランコに腰掛ける。

「何でこんなトコにいんの?」

こんな時間に。

「君が泣きそうな顔してるから」

答えになっているようでなっていない。
それは何なの?
沢山の疑問を飲み込んでちらっとその顔を盗み見した、そいつは無垢に笑ってた。

変なヤツ。

「答えになってない」
「ホントなんだけどなぁ」

男は困ったように呟いて見せた。胡散臭さ倍増だ。
そしてそれ以上話すのを止める。
神楽の言葉を待ってるみたいに。

「…家出」
「ん?」
「家出、したの。…もう半年くらい前だけど」

神楽は沈黙に耐えられなくなって、つい話し出してしまった。

「あたしさぁ、いらないんだって」
「どうして?」

さも当然の疑問のように言うのはなんで?
さも当然のようにいらないと言われたあたしに。

「…母親の再婚相手の男がさ、自分の娘じゃないからあたしが可愛くないみたいよ?」

今更湧き上がってきた痛みを誤魔化す為に、自嘲じみた笑みを洩らす。

「…だからもう帰んない」

それから青縁眼鏡は暫く黙って、けどそれは返答に困ってる風ではなくて。


「帰らないの?」


黙った後のその科白は神楽に帰る事を促している訳じゃなかった。
気付かずにはいれない。そんな総てを見抜くような瞳と目が合ってしまったら。

「―――」

やっぱりあたしは逃げてた。
戦う事からじゃなくて、家を出た理由から。
帰らない?
違う、
ホントは帰らないんじゃなくて、


「…帰れない…」


「…うん。」

青縁眼鏡は何故か納得したみたいに頷いて立ち上がる。
そして神楽の前で目線を合わせるようにしゃがんだ。

「頑張ったね」

何にも知らないくせに、何でそんな事言えるの?
そんな言葉、欲しくない。

でも、涙が出た。

「よし。ホントにどうしようもなくなったら、此処へおいで」

俯いて泣く神楽に優しく微笑んだ青縁眼鏡は一枚の紙を差し出す。
地図と住所が書いてあった。

「何、…コレ」
「君が帰れる場所、俺があげるよ」

男は「じゃあまたね」と言って何処かへ消えてしまった。
優しいんだか冷たいんだか、分からない男だった。
ひとり残された神楽はどうしようもなくて、ただ、泣くしかできなかった。

その行為はまるで生きてる事を主張しているようだ。
そんな自分自身に腹が立って、乾いた地面を軽く蹴る。
錆び付いた鎖が、ギィッと音を立てて軋んだ。